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1972年 あさま山荘事件ほか 現場取材 撮影/西田圭介 産経新聞社出版局怒涛の1972年

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NEWSなスクープ 三島由紀夫自決 701125 週刊サンケイ 撮影/西田圭介 産経新聞社出版局 © NISHIDA, Keisuke / HJPI320200000636 www.jpca.gr.jpNEWSなスクープ

 

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雑誌メディアに掲載されたNEWSなポートレート

 

大学1年の冬休みに先輩から暗室補助バイトに呼ばれた週刊誌が原点だった。

インタビューや対談撮影を任されるようになり、

渦中の人から話題の方まで多くのジャンルの方々にお会いすることができ、

お話を聞いて、感じて、撮影させていただいた中から

ニュースなポートレートをご紹介します。

 

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安藤忠雄さん : 

 

06年2月11日に安藤忠雄さん設計による表参道ヒルズがオープンした。

ケヤキ並木を超えない高さ、屋上の緑化、吹き抜けの周囲を地下3階から地上3階まで

緩やかに登るスパイラル・スロープは表参道の斜度と同じだという。

人々の記憶に残るケヤキ並木と同潤会青山アパートの風景を

次世代につなごうという壮大なプロジェクトは、高さのみを競う

従来の再開発とは一戦を画すアンチテーゼを掲げた建築家を事務所の外階段で撮影した。

安藤忠男 建築家 St,raight表紙 撮影西田圭介 安藤忠雄 撮影西田圭介 扶桑社 Straihts,
Straight, 06年3月号/扶桑社

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アラン・パッサールさん:Alain Passard 

 

1956年フランス・ブルターニュ地方ゲルシュ生まれ。

1986年パリに「アルページュ」をオープン、

87年にミシュランの1ツ星、88年に2ツ星、 96年に40席ほどの小さな店だったにも関わらず、

シンプルで独創的な料理で3ツ星を獲得。

火の使い方に精通し「肉の魔術師」と呼ばれていたが、

99年頃より自身の農園で野菜を育て、野菜料理の新しい可能性に傾倒し

2001年より一転して野菜料理のスペシャリテとなり

野菜コースのみのフルコース等で話題となった。

東京プリンスホテルのパークタワー33階のレストラン「プリーズヴェール」が期間限定で

アラン・パッサールさんプロデュースのお披露目当日のキッチンでお茶目な人柄を撮影。

アラン・パッサール 

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金子光晴 さん: 

 

吉祥寺の街をご一緒に散歩しながら取材をさせていただきました。

駅ビルの喫茶店で居合わせた女性たちへの賛歌がすてきな金子光晴さんでした。

1895年生/1975年没
金子光晴 撮影 西田圭介 金子光晴 撮影 西田圭介
随筆サンケイ / 産経新聞社出版局

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六代目 三遊亭圓生さん :

 

徳川夢声責任編集の産經新聞社出版局発行「随筆サンケイ’78現代の顔」で数日間同行取材。

凛とした眼差しに芸に対する厳しさが伝わってきた。

※タイトルは新字体表記のため三遊亭円生

1900年生/1979年没

六台目三遊亭圓生 撮影 西田圭介 六台目三遊亭圓生 撮影 西田圭介

随筆サンケイ「’78現代の顔」 / 産経新聞社出版局

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スティーブ・ウィンさん:Steve Wynn

 

「ラスベガスのホテル王」「ラスベガスを換えた男」

「大人のエンターテインメント界のウォルト・ディズー」。

 

カジノリゾートの世界で、最大級の賛辞を独占している男、スティーブ・ウィン

ラスベガスの最高級ホテルの代名詞である「ベラッジオ」ほか、

「ミラージュ」「トレジャー・アイランド」などを作った男。

彼がそれら所有ホテルを売却し「僕の夢そのものともいえる、史上最高のホテルを作る」と

宣言し「ウィン・ラスベガス」は華々しく幕を開けた。

インタビュー嫌いで有名なスティーブ・ウィンさんを取材する為に

インタビュアー、ライターそして私は編集&カメラとしてラスベガスに向かった。

撮影は15分の約束だったが、部屋に入って来た彼を社長デスクの脇で撮影開始。その1分後に

「もう十分だろ」

と言われ撮影終了。

全部で7カット。撮影時間1分だった。

インタビュー写真はアメリカのバニティーフェア(VANITY FAIR)と

日本のStraight,05年12月号の2誌のみの貴重な写真。

スティーブ・ウィンSteve Wynn2005 Straight,05DEC 撮影 西田圭介 Straight,05年12月号/扶桑社

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ギャート・クナッパーさん : Gerd Knäpper

 

「人は節目を迎えるごとに冒険が難しくなる」 

 

24才の誕生日を迎えた1972年の早春、

西ドイツからやって来た陶芸家ゲルト・クナッパーさんを取材に益子を訪れた。

5歳年上のクナッ パーさんは1965年にアメリカ・ニューアーク美術館で作陶を学び、

世界35カ国を巡りながら加藤唐九郎、濱田庄司、バーナード・リーチを訪問し、

68年 島岡達三の援助で益子で修行・築窯。

1971年 第1 回日本陶芸展で最優秀作品賞、文部大臣賞を受賞。

日本脱出を漠然と考えていた頃、取材中の会話で背中を押してくれたクナッパーさんのアドバイスは

 

「人生の節目を迎えるごとに冒険が難しくなる』

『結婚すると一つ冒険が出来なくなり、子供が産まれるとまた冒険が難しくなる』

 

愛妻のキエさんとの新婚生活をスタートしたばかりのクナッパーさんの言葉に

大変な説得力を感じた。


『考えていても何も始まらない! 行動しなきゃ』



これをきっかけに日本脱出は73年の5月頃と決め 海外への足がかりを求めて動き出した。

が、

インターネットも海外旅行情報誌もましてや渡航費用の蓄えも全く無い時代の

ヨチヨチのフォトジャーナリストが目指した

バックパッカーの格安世界一周写真旅のブログこちらから。

 

1943年生 / 2012年11月2日没 合掌
ギャート・クナッパー ©Keisuke NISHIDA 撮影 西田圭介 週刊サンケイ / 720218号

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橋本治さん 

 

五月初旬の未明、赤門前はとても寒かった。

「とめてくれるなおっかさん、背中のいちょうが泣いていた!」

真夜中から準備した桃尻写真は一瞬で撮了

 

1972年の「シリーズ・はみ出し人間」は人生初の西田圭介不定期連載企画の第2弾で

東大生絵師 橋本治さんを撮影するためモデルの背中にあの有名なイラストを

皮脂に負けないよう墨汁にフィクサチーフを混ぜて筆で一気に描いてもらった。

#元祖桃尻写真

シリーズ・はみ出し人間 東大生絵師 橋本治 撮影/西田圭介 週刊サンケイ72年6月23日号

シリーズ・はみ出し人間 東大生絵師 橋本治 撮影/西田圭介 週刊サンケイ72年6月23日号 以下は編集部のS川先輩の原稿を引用しました。

 

橋本 治クン、二十四歳。東大文学部国文科の学生である。

昭和四十二年入学というからことしで五年目。一万五千人もいる東大生の中で、

彼が変わっているのは、東大紛争のときの駒場祭で

「とめてくれるなおっかさん、背中のいちょうが泣いている」

というポスターを発表したことである。以来、イラストレーターとして活躍しているが、

彼は、この他にも三つの顔を持っている。

インタビュアーとしての降矢木純一郎、服飾デザイナーの新藤徳二郎、

それに童話作家・和泉屋粂三郎というのが、彼の”仮面”。

しかし、このペンネームも降矢木は、

小栗虫太郎推理小説『黒死館殺人事件』に登場する黒死館の主人、

新藤徳二郎は、江戸時代の大泥棒、

粂三郎というのは歌舞伎の女形の名前というように人をくっている。

どうも、東大紛争のときの名せりふといい、このペンネームといい、

橋本クンの諧謔精神、タダモノではない。

この世俗の権威を徹底的に洒落のめする発想は、江戸時代の偽作者に似ている。

これは、橋本クンが深くのめり込んでいる鶴屋南北と歌舞伎の世界に原因があるようだ。

鶴屋南北の代表作は、『東海道四谷怪談』。

民谷伊右衛門とお岩の因縁話は、退廃的で陰惨である。

時代の背景は、文化文政の十一代将軍家斉の治世であるから、文化の爛熟期。

退廃の気風も強まっていた。

このエロとグロの世界にとりつかれた理由を、

「荒唐無稽で順列組みあわせのように楽しいから」と橋本クンは説明する。

しかし、これも戯作者特有のポーズではないだろうか。

江戸時代の絵師たちは、いくら弾圧されてもひそかに春画を描き、

もの書きは古典文学を風刺したエロ本を創作していた。

この橋本クンがとりつかれた文化文政時代を現代になぞらえたら、

つらい浮世のからくりも見えてくる。

イラストレーターといっても現代の絵師と同じこと。

三つの”仮面”を使いわけるこの才人が、鶴屋南北の血筋をひいた「昭和の絵師」になれるかどうか、

むしろ東大にずっと居すわっていたほうが”現代”そのものを表現するのに好都合かもしれない。

シリーズ・はみ出し人間 東大生絵師 橋本治 撮影/西田圭介 週刊サンケイ72年6月23日号 週刊サンケイ72年6月23日号より
戯作者としては、三味線も一人前でなければならぬ。
ギターにとびつかなかったところが橋本クンの反骨精神であろうか(東京・杉並区和泉町の自宅で)

 

同世代の橋本さんは取材以後、多才なクリエーターとして活躍していたが

数年後の1977年小説『桃尻娘』でデビュー後は作家だった。

昨日、2019年1月29日に肺炎で亡くなったことを NEWSで知った。

webちくま『遠い地平、低い視点』連載第51回 / 闘病記、またしても

で、ステージⅣの癌だったと書かれてました。

 

ご冥福をお祈りします。

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田辺一鶴さん :

 

「ころは元紀三年、壬申(みずのえさる)年十二月十四日、ポンポポンポン。

甲陽の武田大僧正信玄は、ポンポポンポン。甲府において・・・」


張り扇の音も高らかに調子のいい声をはりあげる講談も落ち目になった

1972年の1月には本牧亭も店じまいした。

その後日本特有の話術芸能、二百七十年の歴史に終止符をうつなんてことは、

先輩たちにも顔向けできない。

なんとしても残していきたいと、三十七名の協会員全員が、懸命の定席さがし。


そのかいあって四月、東京・浅草の貸しホール「やまと」に定席を構えることができた。

しかし、定席は復活しても客足は相変わらず。

協会の神田山洋会長みずから大道にでて呼び込みからビラ配り。

無理なお願いに快く応じていただけた「ひげの先生」田辺一鶴さん.。

「釈台を前に張り扇をふりまわす時代はもう去った。

これからは大道芸人であった講釈師の原点に立ち戻らなければいけません。

そこから新しいものを生みだしていくのです」と、

銀座の歩行者天国の大活躍を撮影。弟子の夕鶴を通じてポルノ講談も生んだ人だ。


1929年生/2009年没
田辺一鶴 撮影 西田圭介 週刊サンケイ72年5月26日号 週刊サンケイ / 720526号

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リビングブック(現エッセ/ESSE)の表紙を飾った読者モデルたち

 

1981年10月7日「リビングブック」(現エッセ、ESSE/扶桑社)が創刊した。

フジサンケイグループ会議 総合出版委員会が

1978年11月10日に立ち上げたプロジェクトが答申した生活に役立ち、

主婦目線でニーズと関心に答えるのが編集ポリシーだった。

プロジェクトを委嘱され会社設立、

編集、デザイン、撮影と30代の全エネルギーを注いだ雑誌だった。

読者参加企画の主婦を表紙に起用!

毎月多くの応募者からオーディションをし選ばれたすてきなミセスさんでした。

LivingBook リビングブック 読者モデル LivingBook リビングブック 読者モデル LivingBook リビングブック 読者モデル

LivingBook リビングブック 表紙撮影西田圭介 LivingBook(リビングブック)/ (株)リビングマガジン

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