インターネットも

クレジットカードも無い1973年、

バックパックとニコンFで

格安世界一周 写真旅

 

 

1973.06.25~26. フランクフルト18:00→ウイーン→マウトハウゼン/Gust House

シンポジウムの始祖

カール・プランテルさんがオーガナイザーの

「国際彫刻家シンポジウム、1973マウトハウゼン」で

花崗岩の彫刻制作にチャレンジ!

ロマンティック街道のフュッセンにあったオートキャンプ場の環境は最高だった。キャンピングカーは指定の場所に駐車してライフラインをセットするだけ。テント利用の車のエリアも舗装駐車と点とエリアが隣り合い、コインを入れれば清潔でお湯もシャワーもガスも快適に使えるキッチンがあり、疲れた体をベッドで休みたい人にも清潔なホテルが併設され、超貧弱な日本のオートキャンプ場とは比べものにならなかった。
翌日ミュンヘンのホフブロイハウスでとびきりのビールを飲んだ後、彫刻家の三上浩さんに会うためウィーンに向かった。
三上さんは「国際彫刻家シンポジウム、マウトハウゼン1973」に日本人作家として参加し製作中でしたが私をピックアップするため一時的にウィーンに戻っていた。
「国際彫刻家シンポジウム」は1959年オーストリア、ブッチング生まれのカール・プランテルさんが世界で初めてオーガナイズしたもので、コンセプトは前途を嘱望されている若き世界の彫刻家に作品制作に必要な環境と素材、生活費、作品展示場などを提供し、スポンサーおよび行政との調整など全てをまかなうもので、その後このコンセプトは世界的に広がりをみせ日本各地でも開催されていった。ベネッセの直島イベント等もこの流れである。
カール・プランテル
サンクト・マルガレーテンにある彫刻家の家で欧州の若手作家が一同に集まったティーチイン(パーティー)会場のプランテルさん。撮影/730703
国際シンポジウム 1973 マウトハウゼン 三上博史
三上浩

国際シンポジウム 1973 マウトハウゼン 三上博史

国際シンポジウム 1973 マウトハウゼン 三上博史

マウトハウゼンの石切り場がアトリエで、欧米の作家と一緒に近所の養豚農家の経営するペンションで私も一緒に生活した。初めての削岩機を手伝ったりしながら墓石サイズの石を貰って私も彫刻にチャレンジした。写真は三上浩さん。
三上 浩[みかみ・ひろし]
1944年中国武漢市生まれ。
1967−69年京都市立芸術大学専攻科において堀内正和氏に師事。1970年渡欧、1974−76年セントマーティンス美術大学大学院彫刻科在籍。彫刻シンポジウム全盛の時期にヨーロッパ、アメリカ、アジア各地に活動の場を広げた。また彫刻シンポジウムをインドにおいてスタートさせた人としても知られている。
石を彫るときに生じる「火花+音」を作品にしたい、という着想が発端となり1983年硄のプロジェクトが生まれた。1990年写真家達川清と共に"プロジェクト硄"を開始、1998−99年、ドイツのアーティスト・イン・レジデンスにて単独のプロジェクト"硄グリフ"を完成させる。病気のため1999年他界、このシリーズが遺作となった。
北島一夫
会場にはもう一人の日本人作家北島一夫さんも居た。芸大を卒業後イタリアのカラーラで大理石を学びマウトハウゼンに招待された北島さんは1979年の第1回ヘンリームーア大賞展(彫刻の森美術館)優秀賞を受賞。寡黙な作家で花崗岩がだんだん大理石のように変化する。
シンポジウム/現地新聞
この写真は地元の新聞社に取材されたもの。シンポジウム終了後にできたパンフレットには私も紹介されているが、本棚の何処を探しても作品集が出てこなかった。残念!
この村には作家として活躍していた中島修さんも住んでいて幸せな取材時間だった。

#Prantl
#国際彫刻家シンポジウム
#1973マウトハウゼン

 

 

1973.0627. マウトハウゼン→リンツ→ウィーン/YH

ウィーンのカメラ屋では既に有名人 

田中長徳さんは

もちろんライカで現れた。

ウィーンに移住する記事をカメラ雑誌で知り、同世代の田中さんの写真が好きだった私は面識も無かったが日本デザインセンターに連絡をした。お会いした時は私の旅程はまだ10ヶ月位を考えていた時だったが、田中さんの方が先に出発するスケジュールだった。何はともあれ次回はウィーンで会いましょうと言って別れた。
「こっちに来て1ヶ月位でウィーン中のカメラ屋を回ったよ。ライカを扱うお店はもう全て顔パスになった」と長徳さん。その日はシェーンブルン宮殿や絵になる市内の路地を案内してもらった。
ライカで撮影をした事が無い私は初めてビゾフレックス?のレンズを覗かしてもらった。なんともいえない柔らかい感じがした。

ウィーン 西田圭介 田中長徳 西田圭介 ウィーン

ウィーンの中心はリンクトラムをはじめいたるところが工事中だったが
「あっ!」
と思った瞬間シャッターを切った、お互い同じ被写体を同時に狙っていた。シャッター音は同時にしか聞こえなかったが数ヶ月後カメラ雑誌で目にした田中さんの写真はカラーだった。サンクトマルガレーテンの砂岩でつくられたサンクト・ステファン教会前の写真は田中さん撮影。別れた時に市電の中から撮った写真をわざわざ実家宛に送ってくれた。
「圭介さんは大変元気で6/27Wienの私の所へよられました。フランスへ行ってから中近東、インドと旅行を続けられるとの事、彼の近影をお送りします。別れ際に市電の中から撮ったものです」田中長徳Wien。感謝!感謝!のポストカード。 左:オリジナルプリントのエアメールポストカード 右:ガラスの反射で分かりにくいがトラムに乗る田中さん。カメラは何かな?
ウィーン 田中長徳ポストカード ウィーン 田中長徳
モノクロ写真はニコンF 24ミリ TRI-X800増感

西田圭介撮影

 

 

73.06.28. ウィーン→リンツ→マウトハウゼン/Gust House

 

973.06.30. マウトハウゼン強制収容所

オーストリア最大の花崗岩採石所を見下ろす丘にあった

マウトハウゼン強制収容所は

雲一つ無い静寂の空間だった。

国際彫刻家シンポジウムに参加のアーティスト達に素材を供給しているマウトハウゼンの採石場はかつてナチスによる強制労働分隊が作業していた。しかも強制収容所は「犯罪者」や「反社会分子」など第三カテゴリーに分類され過酷な扱いを受けた場所で、三上さんの車で着いた時は観光客もおらず真っ青な空が広がる無音の空間だった。
親衛隊員による日常的な拷問は一部のサディスト看守による殺人が行われ、囚人を使った様々な人体実験も行われていた。写真は直接心臓に打つ長い針をつけた注射器や解剖室があり人体組織の瓶詰めがあったとされる。「青年は荒野をめざす」のジュンがみた刺青を剥いだランプシェードも作られていたかもしれない。
心臓注射 マウトハウゼン強制収容所
マウトハウゼン強制収容所
マウトハウゼン強制収容所 処刑
シャワー室はガス室の入り口だった。シャワー設備からは殺人ガスしか出てこない。
マウトハウゼン強制収容所 シャワー室はガス室
マウトハウゼン ガス室

 

 

1973.07.02. マウトハウゼン→ウィーン

 

1973.07.03. ウィーン→サンクトマルガレーテン→ウィーン

野外美術館の生みの親

カール・プランテルさんと

サンクトマルガレーテンの彫刻家の家

シンポジウムという活動が世界に普及した

カール・プランテル(Karl Prantl)さんについて紹介をしたいと思い、サンクトマルガレーテン(Sankt Margarethen)と彫刻家の家(Bildhauer haus)の場所をGoogle Earthでようやく見つけた。当初マウトハウゼンの近くと思い探したが再三検索を重ねてオーストリアのサイトで見つける事ができた。人の運転で移動していたためと40年の歳月が記憶を曖昧にした。
そんな時に現代彫刻家の飯田善国さんの書いたプランテルさんの記事(国際文化166号の転載)も見つかったので曖昧な記憶がかなり修正された。飯田さん自身も1961年 に招待されて参加していた。
このシンポジウムに最初に参加した日本人作家はパリ在住だった水井康夫さんで早くも1963年に朝日新聞主催で真鶴海岸でシンポジウムを開催したそうだ。
サンクトマルガレーテンの石切り場は中世の時代から良質の石灰性砂岩の産地として知られウイーンのサンクト・ステファン教会のゴチック建設はここから産出した石材で作られた。この採石場から切り出された岩の風景を利用して巨大なオペラのステージに変貌し1996年にヴェルディの「ナブッコ」を初演。そして2001年にはユネスコ世界文化遺産に登録された。
2010年10月8日他界。ORFTVの追悼ニュース。
プランテルの作品 石のテーブル 彫刻家の家 サンクトマルガレーテ プラント 彫刻家の家 世界のオーガナイザーと対話
「彫刻家の家」の玄関先にある巨大なテーブルはプラントさんの作品。私もパーティーが始まる前テーブルにあった日本では見た事がない黒のチェリーを死ぬほど食べた。
Karl Prantl St.Margarethen
野外に彫刻が展示されるようになった日本初の野外美術館、箱根の「彫刻の森美術館」は1969年開館。1981年に美ヶ原高原美術館開館ベネッセアートサイト直島のようにアーティストたちがその場所のために制作したサイトスペシフィック・ワークが恒久設置され、アーティストたちは自ら場所を選び、作品を制作。まさにプランテルさんの考えたコンセプトが世界中に広がっている。写真は彫刻家の家の裏にある小高い丘に展示された作品を前にハンガリーの民族舞踏団のイベントを楽しむ村人。
サンクトマルガレーテの野外美術館 St.Margarethen Bildhauer
左:後方に見える彫刻家の家の裏手を上って行くと自然景観をいかした野外美術館となっている。右:彫刻作品によじ上っても怒られることはない自由さがいい。左下:丘の裏が採石場で近年はオペラハウスになって世界遺産となっている。

サンクトマルガレーテの野外美術館 kar Prantel

ここから南に6キロほどでハンガリーの国境。歩いて行ける国から舞踏団がやってきて村民とフォークダンスのお祭り。先ずは村のセンターの交差点でダンス。子供達がかわいい!

ハンガリーの舞踊団 kar Prantel

彫刻家の家で行われた夜のパーティーにも参加するため1000キロ先のパリをはじめ各地から集まったアーティストはほとんど車。ドイツのアウトバーンやオートストラーダなど高速道路のほとんどは無料。オーストリアには車検が無いので三上さんの車の足下から道路が見えたりした。

彫刻家の家 三区とマルガレーテン St.Margarethen Bildhauerhaus

世界遺産に登録された野外オペラハウス。様変わりにビックリ!

サンクト・マルガレーテンのオペラフェスティバル

 

 

 

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