「霧の彫刻」で知られる
中谷芙二子(なかやふじこ)さんが
第30回高松宮殿下記念世界文化賞(日本美術協会主催)
彫刻部門を受賞
2018.07.12
今朝の新聞で今年の2月に人工的に発生させた霧を素材にした霧アーティスト中谷芙二子さんと初めて人工雪の結晶をつくった科学者の父との「グリーンランド」中谷芙二子+宇吉郎展を体験しに銀座メゾンエルメスに行った時の驚きを思い出した。
「雪は天から送られた手紙である」という言葉で有名な科学者、中谷宇吉郎は、1936年に世界で初めて人工的に雪の結晶をつくり出したことでも知られています。科学の真理を大自然と人間との協働作業のなかに見出した宇吉郎の姿勢は、霧を媒体とした芸術表現を試みる芙二子に、強く影響を与え続けています。
1933年、宇吉郎の次女として生まれた中谷芙二子は、初期の絵画制作を経て、1966年にはニューヨークにて芸術と科学の協働を理念とした実験グループ「E.A.T.(Experiments in Art and Technology)」に参加、70~80年代は日本を拠点にビデオ作品の制作や発表も行ってきました。作家の代名詞である、水を用いた人工霧による「霧の彫刻」は、1970年の大阪万博ペプシ館にて初めて発表されました。以降、世界各地で80作品を越えるインスタレーションやパフォーマンスなどを手がけています。また、建築・音楽・ダンス・光といった他ジャンルのアーティストとも共同制作を行っています。
晩年の宇吉郎さんが4回にわたり雪氷研究に打ち込んだ地、グリーンランドをタイトルに掲げ、銀座メゾンエルメスのガラスブロックを氷の大地に見立て、室内での霧の実験に挑むものです。「氷のことは氷に聞かないと分からない」のために滞在した北極圏の地・グリーンランドの雰囲気をエルメスの空間に見いだした中谷さんの提案により、「グリーンランド」と名付けられた。
※プロフィール他は銀座メゾンエルメス フォーラムから抜粋
これ彫刻なの?
「雪は天から送られた手紙である」
愛用ライカ
撮影はOKだけど、動画は不可だった。
こんな感じで変化するんだけど伝わるかな〜?
底が地面についていれば霧、
浮いていれば雲、
落ちれば雨
雲や霧は温度、湿度、風などの気象条件に
よって現象し、温度が二、三度上昇すればすべて消えてしまう。いや、形を変えるだけで水はもちろん空気中に
存続している。仏教的概念ではこの点が重要であるが、今は雲が状態を維持しているランダムな構造を問題に
しよう。それは微妙なバランスで成立している。絶えず死に、絶えず生まれているといった方が適切なのかも
しれない。
雲粒は互いにぶつかり合えば粒子は大きくなり、自分の重さで落下してしまう。まるでデモクラシーの理想
モデルのようなこの雲の現象の美学は、そのまま禅的集団の存在モデルとしても通用しそうである。
『手法から作法へ:ビデオで見る「禅のかたち」から』(草月128号、1980年、31頁)
詳しい情報はこちら
公式サイト:http://www.maisonhermes.jp/ginza/le-forum/archives/405275/
Greenland by Fujiko & Ukichiro Nakaya
「グリーンランド」 中谷芙二子+宇吉郎展
2017.12.22(金)~2018.3.4(日)
展覧会のブックレットPDFがDLできます
http://www.maisonhermes.jp/wp-content/uploads/2018/04/ead6ac1fc6058a6401ba92e4a666a6d4.pdf
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▶探し物をしていたら偶然
銀座のハプニングが巨匠クリストと並んで掲載された
週刊少年サンデーの特集「へんな芸術!!」発見
掲載していただいた事もすっかり忘れていた週刊少年サンデーの特集
「ヘンな芸術!! 銀座カラー作戦」が出てきたので
ブログ更新のため早速スキャンしたHappening GINZA 1969。9月6日 14:00
クリストの作品はオーストラリア・シドニー郊外の海岸「38万平方メートルの岩の小包」
100人の作業員が数週間かかって、後楽園球場(ドーム前)が9個分を梱包した有名な作品。
以下は週刊少年サンデーの総ルビ本文にも感動。
交通のはげしい銀座4丁目交差点。
突然、赤青黄白の染料がぶちまけられた。ラッシュの車のわだちで、黒い道路は、みるみる美しく染まっていく。
行動芸術派にとっては、あらゆるものが芸術表現の手段。黒い道路をカラフルに染めて、都会生活を楽しくしようというのだが‥‥‥
忙しい都会人には、この芸術は、ついに理解されなかった。「赤軍派のイタズラ」「イヤ交通量の調査だ」とワイワイ。
1時間後、機動隊に消されてしまった。
▶東京都と神奈川県との県境を
多摩川の河原にペイントした
雲野耀弘さんとの出会いと撮影が
現代美術作家への興味を加速させた
1969年頃よりフーテンの聖地、新宿凮月堂に通い出した僕は1968年の毎日現代美術展で入選した新進作家の雲野耀弘さんと出会った。
彼からその年の夏に地図上にある東京都と神奈川県の県境を直接多摩川の河原に蛍光ピンクの水性塗料で描く企画を聞いた。
蛍光塗料のシンロイヒ工業から石油缶サイズのペイントをいくつか提供してもらい、8月1日〜3日までテント持参で黙々破線を描き続けた行為を撮影した。
凮月堂ではコンセプト・アーティストでフーテンのガリバー(安土修三)や街頭パフォマンスの芥正彦さん、アングラ映画の旗手宮井陸郎さんや小林はくどうさん達と出会う機会があり、あらゆるジャンルのアーティスト達の撮影をしながら、自分でも面白いアイデアが生まれはじめ、9月には美術手帳の特集で掲載されたハプニング作品を創った。
画像はサンケイ新聞出版局写真部で学生バイト時代にグラビア連載企画「1億分の1」シリーズ3、“ムダ”に生きる。徳川夢声責任編集の月刊随筆サンケイ/1969年。
▶ 真昼のハプニング
朝日新聞 1969年9月7日 16面東京版より
▷六日午後二時すぎ、銀座四丁目交差点の車道に白、赤、黄、青色の絵具のような塗料が流された。走り回る車で、たちまち道路はいちめん抽象画風になった。
▷知らせでかけつけた築地署員が水を流して洗い"道に描いた絵"は約十五分後消えたが、人波でごったがえした土曜日午後の、ハプニング。あっという間に人が集まった。
▷塗料は、ビニールの買物袋に入れてあり、交差点の曲がりかどの、ちょうど車が通るところににぶちまけられた。「道交法でいう路上の危険物とは違うから、おそらく取締りの対象にはならないだろうが、それにしてもなんのために・・・」と同署員は首をかしげている。写真は路上にまかれた塗料(銀座四丁目交差点で、鈴木一成さんうつす)
▶ 美術手帳「行為する芸術家たち」に選ばれる
1970年12月号
「美術手帳1970年12月号 巻頭特集 行為する芸術家たち」に掲載された作品は、
1969年9月6日の土曜日の午後、銀座4丁目の交差点で服部時計店の時計が2時をさした時にビニールコートされた紙袋に入れた赤、青、白、黄色のポスター・カラーの水溶液を交差点内に置いた。
信号が変わると動き出した車のタイヤが路上にアートを広げていく過程を屋上から大学の研究室から借りたアリフレックスの16ミリフィルムで撮影した『Happening GINZA1969』
当時は主にハプニングと呼ばれていた表現行為でアースワークとかコンセプショナル・アートとか言う人もいた。まだ21歳の学生だった。
▶ 小学館 日本大百科全書 19
「パフォーマンス」の項目に掲載された
Happening GINZA1969
『日本大百科全書 19』ENCYCLOPEDIA NIPPONICA 2001 小学館刊 1988年1月1日初版第一刷り
35ページ「パフォーマンス」の項にローリー・アンダーソンと共に掲載された「Happening GINZA1969」がこの作品。
日本大百科全書に掲載されるきっかけは「美術手帳1970年12月号 巻頭特集 行為する芸術家たち」だった。この特集が現代美術の監修者だった美術評論家の庄野進さんが「日本人作家でパフォーマンスと言える作品はこれだけ」と編集担当者からお聞きした。
パフォーマンス
美術評論家の庄野進さんの解説は、
パフォーマンス/performance 本来の語義「完全に遂行すること」であり心理学用語としては、潜在的な心的能力が現実の場面で発揮され、行為が「遂行」されるという意味で用いられ、言語学では言語能力に基づいて言語活動がなされる際の「言語運用」と言う意味を持つ。
しかし現在一般的な用法は、二〇世紀の芸術において、諸ジャンルと横断的にかかわる独特の行為の芸術をさす。この場合パフォーマンス・アートとよばれることも多い。中略
[概念の成立] 一九六〇年代に行われたハプニング happening やイベント event もパフォーマンスに包摂されるが、パフォーマンスということば自体が包括概念として一般的に用いられるようになったのは、七〇年代末頃からである。しかしその先駆形態は、二〇世紀初頭にまでさかのぼることができる。中略
続いて第一次世界大戦後のヨーロッパ各地で展開されたダダイストたちの激しい挑発的行動や、シュルレアリスとたちの活動のなかにも同様の傾向がみられる。
また、バウハウスのO・シュレンマー Oskar Schlemmer (一八八八ー一九四三)らは、音と光と色彩の抽象的な構成を上演する活動を行っていた。中略
七〇年代初めに、一時停滞期があるものの、八〇年代にかけては、L・アンダーソン Laurie Anderson (千九四七ー ) ら、ポピュラー音楽のシーンにもこの傾向が広がり、また、テクノロジーと結合するなど新たな展開をみせている。
作品紹介
銀座4丁目交差点におけるパフォーマンス。1969年9月西田圭介と九民(きゅうみん)は、赤、青、白、黄色のポスター・カラーの水溶液を銀座4丁目の交差点の4か所にぶちまけた。そこを通る自動車のタイヤがローラーのかわりをすることによって、自動的に各色が路上に広がって美しい模様をつくりだし、その場所を非日常的な空間に変えた。この写真は、当日西田圭介が16ミリフィルムで撮影したもの
『日本大百科全書 19』ENCYCLOPEDIA NIPPONICA 2001 小学館 1988年1月1日初版第一刷り
アースワーク Earthwork 現代美術用語辞典1.0より
別名ランドアート。1960年代末のアメリカで発達した、自然を直接の制作素材とする表現様式。
美術館への収蔵が不可能なため、もっぱら写真を通じて鑑賞 するその形態は、69年のドゥレ画廊での観展で認知された。
代表的な作家としては、ユタ州の湖沼に巨大な「螺旋状の突堤」を築いたR・スミッソンやネヴァ ダ州の大地に「円形の地表」を刻んだM・ハイザー、あるいはN・ホルトやD・オッペンハイムらがいる。
人間と自然の交感をテーマとしている点では一種の環境芸術と言えるが、この運動に加担した作家はほとんどが「ミニマリズム」の出身であり、また現象学や場所論を理論的支柱としている点では同時代の「アルテ・ポーヴェラ」 とも共通していて、この形態がベトナム戦争等の背景をもつこの時代との密接な同調のもとに発達を遂げたことがわかる。大規模な土木作業を必要とするため、 一部に自然破壊との批判もあり、また理解者の金銭的支援が受けられなくなった70年代には後退。
日本語で読めるこの動向のまとまった紹介文献としてはJ・ バーズレイの『アースワークの地平――環境芸術から都市空間まで』(三谷徹訳、鹿島出版会、1993)がある。
撮影はアリフレックス16ミリフィルム
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