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1972年 あさま山荘事件 現場取材 撮影/西田圭介 産経新聞社出版局▷あさま山荘事件

1972年 あさま山荘事件ほか 現場取材 撮影/西田圭介 産経新聞社出版局怒涛の1972年

NEWSな人たち ヨーコ オノ 週刊サンケイ SPA! Straight. 誌面を飾った方々 撮影/西田圭介 産経新聞社出版局 © NISHIDA, Keisuke / HJPI320200000636 www.jpca.gr.jpNEWSな人たち

NEWSなスクープ 三島由紀夫自決 701125 週刊サンケイ 撮影/西田圭介 産経新聞社出版局 © NISHIDA, Keisuke / HJPI320200000636 www.jpca.gr.jpNEWSなスクープ

 

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藤井聡太棋士の新たな歴史がスタートし 

加藤一二三さんの引退で思い出した

後輩の父親、

大山康晴さんに将棋音痴の僕が質問した話

2017.7.2

高校の同好会「東京都立武蔵丘高等学校鉄道研究会」を立ち上げた翌年1965年度?の新入生が大山君だった。

ご自宅で運良く大山さんにお会いした時思わず聞いてしまった。

「スラスラと一手も間違わずに棋譜解説ができるのはなぜ?」

「それは、新宿から札幌に行く場合様々な行き方がありますね。秋田経由でも中央線を使うか山手線、高崎線、上越線、信越線、東北線とか多くの選択肢の中から楽しんで旅程を創るのと同じ」
と、速攻回答していただいた。

その後、大山さんは中原誠によってタイトルを奪取され、50歳目前の1973年王将戦で無冠となり「大山時代」が終わったと言われるようになったが、特例で現役のまま「永世王将」を名乗ることが認められ、'76年には同じく「十五世名人」を襲位。永世称号を名乗れるのは原則引退後らしいが、将棋界の一時代を築いた栄誉により、称号なしの「九段」とは呼べない連盟側の配慮だったのか?

最後にお会いしたのは対談かインタビューで「将棋会館」の建設に尽力され'77年日本将棋連盟会長の就任時だったと思う。

AI将棋で学び方の変化があっても全ての棋譜は本人の脳内に収まっている。すごい能力!
脳のメモリやOS、CPU知りたい。

駒の並べ方もよくわからないまま初めての将棋盤をadobeのAiで作ってみた。
囲碁と違って将棋は駒の天地や表裏があるのでそのうちプラグインできるかな?

170702 藤井聡太棋士 佐々木勇気

1手目 2六歩(27)
佐々木勇気 五段 vs. 藤井聡太 四段 第30期竜王戦決勝トーナメント

7/2の棋譜はこちらでご覧になれます

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ヨーコ・オノと  
プラスチック・オノ・スーパーバンド
郡山ワンステップ・フェスティバル最終日

2017.5.26

ヨーコ・オノさんがレビー小体型認知症と朝のNEWSで知り、「NEWSな人たち」のバナー写真で使っている1974年8月10日の郡山ワンステップ・フェスティバル最終日を思い出した。

内田裕也さんの紹介でステージに現れた小野洋子さんを撮影したくても目前のステージが高い壁となってファインダーを覗いても顔しか見えない。全国から野外競技場に集まった聴衆が興奮しても駆け上がれない高さに設定されていた。野外ロックは日比谷の野音しか経験がなく困った。

郡山ワンステップ・フェスティバル 1974年8月10日 小野洋子 ヨーコ・オノとプラスチック・オノ・スーパーバンド  youTubeの郡山ワンステップ・フェスティバル冒頭の赤丸が僕かも?

ピント合わせてノーファインダーで何枚か撮った写真に聴衆とのWイメージで構成。会場には熱狂的な同世代が集まっていた。

郡山ワンステップ・フェスティバル 1974年8月10日 小野洋子 ヨーコ・オノとプラスチック・オノ・スーパーバンド 撮影/西田圭介 郡山ワンステップ・フェスティバル 1974年8月10日 小野洋子 ヨーコ・オノとプラスチック・オノ・スーパーバンド 撮影/西田圭介

「奇跡の十万人集会」といわれたロックコンサート”ウッドストック”が日本に蘇った。郡山ワンステップ・フェスティバル最終日の八月十日、会場の開成山陸上競技場は四万人のヤングの汗と熱気でむせかえるよう。
午後九時過ぎ、「ヨーコ・オノとプラスチック・オノ・スーパーバンド」がステージに上がると場内は湧きに湧いた。白のノースリーブにパンタロン。胸まで届く髪を振り乱しての彼女の熱演に「ヨーコ」「ヨーコ」の絶叫が応える。上半身ハダカで狂ったように踊り出す者もいる、全員総立ち。空きカンやビンが飛び交いケガ人も出たらしい。
オノ・ヨーコ。安田財閥の血を引く名門に生まれ、学習院大を卒業後渡米。二百何十人かのお尻の写真を撮りまくったり、三番目の夫ジョン・レノンとのベッド・インを公開したりの奇行で知られる前衛芸術家にして”ロックの女王”。
「日本の若者とコミュニケーションしたくてやって来たの。自分のありのままを見てもらいただけ。理屈抜きに私の身体を持ってきたということだけでも若者にコミニュケーションすることになると思う。いいたいことがあって来たというよりお互い感じあいたい」。
おさえた絵や口調で若者へのメッセージを語る彼女には教祖的な雰囲気すら漂う。「抜かずに大事にしている」という白髪が目立つ四十一歳の”若者”の姿があった。
週刊サンケイ 四万人が見た「ヨーコ・オノ」の熱演 郡山ワンステップ・フェスティバル

週刊サンケイ 1974年9月5日号 本文より

ヨーコ・オノさんのメッセージ動画はこちら
Yoko Ono-The message from Fukusima,Japan.

残念ながら参加できなかった1971年ピンク・フロイドが出演し た 「箱根アフロディーテ」 が野外フェスと郡山が黎明期のフェスだった。

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松宮一葉さん 
FBの問い合わせがきっかけで
45年ぶりにシャンソニエで再会

2017.1.25

1月の初め友人のFBを通じた問い合わせで半世紀ほど前の古い記憶と大事件を思い出した話。

1972年2月、札幌・銀巴里で歌う新人シャンソン歌手の松宮一葉さんの大ファンだった乃村工藝社札幌のデザイナーMさんたちの紹介で一葉さんを撮影した。
当時の手帳には2月20日〜22日札幌出張となっている。ガラ刷りは見つけられなかったが、’72年2/21撮影が7本、73年3/11撮影のTRI-Xネガが9本見つかったので早速デジタル複写した。

19720221撮影/西田圭介 松宮一葉

そのやり取りをメーッセンジャーでしたところ、銀座のシャンソニエ「蛙たち」で彼女のステージがあることがわかり急遽集まることになった。
彼女のレコードデビューはポリドールから1973年2月21日発売「口紅 b/w 愛のくらし」で、作詞=岡崎英生/作曲=小林亜星だった。サブに同棲時代と書いてありまさに昭和で、この年にデビューした歌手はとても多く僕がわかるだけでこんな方々がいました。
秋川リサ、あのねのね、あべ静江、安西マリア、石川さゆり、海原千里・万里、海老名美どり、江本孟紀、海援隊、小坂明子、桜田淳子、城みちる、杉田かおる、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド、なぎらけんいち、夏木マリ、西川峰子、左とん平、ぴんから兄弟、フィンガー5、藤 正樹、水沢アキ、南 佳孝、みなみらんぼう、ミミ (ミミ萩原)、桃井かおり、山口百恵さん他。結構当たり年みたい。

松宮一葉 ポリドール DR 1748 「口紅 b/w 愛のくらし」同棲時代 

1973年2月21日発売 作詞=岡崎英生/作曲=小林亜星

手帳のメモだと19歳で札幌に出て、46年2月から銀巴里で歌っていた。
謎はデビュー1年も前になぜ札幌に行ったのか?
デビュー直後の写真は東京の三軒茶屋近辺で撮影。わからない事だらけですが45年のタイムラグ写真がこれ。

松宮一葉 撮影/西田圭介

雪の札幌と銀巴里、同棲時代風写真がこちら。

松宮一葉 撮影/西田圭介 松宮一葉 撮影/西田圭介

松宮一葉 撮影/西田圭介 近頃は全く見かけない電話ボックスが昭和。

松宮一葉 撮影/西田圭介

改めて額装写真をお渡ししたらCDをいただきました。

松宮一葉 撮影/西田圭介 「私にバラを」CROWN CDP-1080

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イザベラ・ロッセリーニさん
マーティン・スコセッシ監督(73)の
第28回高松宮殿下記念世界文化賞(演劇・映像部門)受賞で
表紙撮影を思い出した

2016.10.18

10月18日、第28回高松宮殿下記念世界文化賞(演劇・映像部門)を受賞したマーティン・スコセッシ監督(73)のニュースを聞いて女優のイザベラ・ロッセリーニ(女優イングリッド・バーグマンを母に父はイタリアの映画監督ロベルト・ロッセリーニ)さんの撮影時を思い出した。


初来日した1980年の冬、映画でしか見たことがないイングリッド・バーグマンがスタジオに現れたと思った。親子とはいえ容貌は母の面影に満ちていた。

イザベラ ロッセリーニ 撮影&AD /西田圭介 週刊サンケイ表紙

モデル / イザベラ ロッセリーニ  撮影&AD / 西田圭介 1980年3月27日号

Google検索で今知った!撮影時はすでにマーティン・スコセッシと結婚(1979〜83)していた28歳の若妻だったんだ。衝撃。

撮影中は「カサブランカ」のハンフリー・ボガード気分で
「君の瞳に乾杯!Here’s looking at you,kid.」

いいね!

いいね!

いいね!とシャッッターを切ってあっという間に約束の時間になってしまった。

来日目的はすっかり忘れてしまったが、 デヴィッド・リンチ監督作品『ブルーベルベット』出演などを経て、 2016年3月よりLANCOMEのミューズに再度就任した。

マーティン・スコセッシ監督は’76年、ロバート・デ・ニーロ主演「タクシードライバー」で第29回カンヌ国際映画祭パルムドール最高賞を受賞。

最新作は「沈黙 サイレンス」、 遠藤周作「沈黙」の映画化を敬虔なカトリック教徒として知られる監督が20年にわたって温めてきた企画。

17世紀の日本を舞台に、隠れキリシタンと信仰心を試されるポルトガル人宣教師の苦悩を描いた作品。 日本からは窪塚洋介、浅野忠信、イッセー尾形、塚本晋也が参加。

2017年公開予定。

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ゲルト・クナッパーさん 
「人は節目を迎えるごとに冒険が難しくなる」

1972.1.26

24才の誕生日を迎えたばかりの1月、西ドイツからやって来た陶芸家ゲルト・クナッパーさんを取材に益子を訪れた。

5歳年上のクナッパー/Gerd Knäpperさんは1965年にアメリカ・ニューアーク美術館で作陶を学び、世界35カ国を巡りながら加藤唐九郎、濱田庄司、バーナード・リーチを訪問し、68年 島岡達三の援助で益子で修行・築窯。1971年 第1 回日本陶芸展で最優秀作品賞、文部大臣賞を受賞。このころ益子の里にはアメリカ、イギリス、スウェーデンから十数名の若者が集まっていた。

益子の陶芸家ギャート・クナッパーさん : Gerd Knäpper 撮影©西田圭介 益子の陶芸家ギャート・クナッパーさん : Gerd Knäpper 撮影©西田圭介 週刊サンケイ / 720218号

日本脱出を漠然と考えていたこの頃、クナッパーさんの言葉で自分の行くべき道が見えた。

「人生の節目を迎えるごとに冒険が難しくなる」

「結婚すると一つ冒険が出来なくなり、子供が産まれるとまた冒険が難しくなる」

愛妻のキエさんとの新婚生活をスタートしたばかりだったクナッパーさんからの人生の指針となったアドバイスだった。

考えていても何も始まらない! 行動しなきゃ。1972年1月26日人生の歯車が一つ動いた。

取材時は電気窯だったためクナッパーさんの良さを表現しずらかったと感じたが、現在の公式サイトを見ると1975年茨城県大子町に移住し念願の登り窯を築窯したと書いてある。行動なくして何事も始まらない。2012年11月2日、病気療養中の入院先の病院にて死去、享年70歳。合掌

これをきっかけに日本脱出は’73年の5月頃と決め 海外への足がかりを求めて動き出した。が、インターネットも海外旅行情報誌もましてや渡航費用の蓄えも全く無い時代の ヨチヨチのフォトジャーナリストが目指したバックパッカーの格安世界一周写真旅のブログはこちら

この後、立て続けに起きた重大ニュースに立ち会えた「怒涛の1972年」のお宝資料が出てきたためタイムラグが+45年のブログを今日から何回かアップ予定。

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歌手白川奈美さん 
「歌手である前に一人の人間である事を考える。
他人を蹴落とさない普通の女」

1972.2.18

♪ ねんねん坊やの 住む里は
  こがらし吹いてる 山の村

全国36万人のホステス嬢を相手にこの歌を歌ってたちまちスターになった白川奈美。二十四歳。
歌が歌だけに”ホステス歌手”なんて言われているが、彼女にはその経験がない。
ただ9人兄弟の長女として、小さいときから苦労を続け、お金だけがほしかった。そこでおもいついたのが歌い手稼業。それからというもの、銀座の洋裁店などに勤めながら踊りと歌を学んだ。しかし、それだけでは金にはならない。とプロのステージ歌手になった。一人で重い衣装カバンを抱え、北海道から九州まで、日本全国をキャバレー巡り。そのうちに認めてくれる人が現れるだろうと……。

それから四年、やっと今のレコード会社にはいることができた。東京・上野のナイトクラブで歌っていたときである。彼女は、そのとき「こんなに早くレコード歌手になれるとは……」と大喜びした。が、初めてレコーディングした『恋の灯が消える』は、まったく鳴かず飛ばず。それでも彼女は、平然としていた。苦労は知りつくしていたのだ。二曲めに取り組んだ。それが『遠く離れて子守唄』。売れに売れて、ついに五十万枚突破。

白川奈美 遠く離れて子守唄 撮影/西田圭介 週刊サンケイ ’720317号 歌手 白川奈美 遠く離れて子守唄 撮影/西田圭介 週刊サンケイ ’720317号 歌手 週刊サンケイ ’720317号

キャバレーめぐりをしていたころの安宿の汚らしいシミを思い浮かべる余裕が出てきた。この歌は、俗に”子持ち女の出稼ぎ歌”と言われている。故郷に残した子供を想う母心を歌っているからである。
この歌がそんなにウケるわけは……などと彼女は、考えない。それなら次は全国五十万人もいる出稼ぎ男たちを相手に歌おうと思った。そこで出したのが『男がつぶやく子守唄」である。

「なんといわれても、レコードが売れなくてはなんにもならないでしょう。私はお金がほしいだけ。売れなくなったら、また別の仕事を捜します。でも、歌はやめられないなあ。一日も早くワンマンショーを開けるような歌手にならなくては……」

彼女、それを実行した。東京・新宿でホステスたちを集めてお礼リサイタル。といっても、これはキャバレーの中でのこと。まだまだ夢は結ばれない。

♪ ヨチヨチ歩きの坊や見て
  捨てたオレの子思い出す

果たして出稼ぎ男たち、彼女の歌をどれくらい好きになってくれるだろうか。

原稿にはならなかった手帳のメモに、

歌手である前に一人の人間である事を考える。
他人を蹴落とさない普通の女。
二重人格にはなれないからこの世界には長くはいない。

彼女の魅力は持ち歌とは反対に、とても明るい性格だった。

週刊サンケイ ’720317号

台湾土産のジョニ赤(当時の贅沢品^_^)持参で出社した前々日、
2/15付け毎日新聞の記事(スクープ?)「京浜共闘 榛名山にもアジト」で16〜18日にかけ捜索隊とともに、雪の群馬県妙義山を越えて長野県軽井沢「あさま山荘」に向け各社が動き始めていた。
これが後の連合赤軍リンチ事件だった。

白川さんを掲載した週刊サンケイ3月17日号表紙に「緊急!あさま山荘籠城の全記録」

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