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1972年 あさま山荘事件 現場取材 撮影/西田圭介 産経新聞社出版局▷あさま山荘事件

1972年 あさま山荘事件ほか 現場取材 撮影/西田圭介 産経新聞社出版局怒涛の1972年

NEWSな人たち ヨーコ オノ 週刊サンケイ SPA! Straight. 誌面を飾った方々 撮影/西田圭介 産経新聞社出版局 © NISHIDA, Keisuke / HJPI320200000636 www.jpca.gr.jpNEWSな人たち

NEWSなスクープ 三島由紀夫自決 701125 週刊サンケイ 撮影/西田圭介 産経新聞社出版局 © NISHIDA, Keisuke / HJPI320200000636 www.jpca.gr.jpNEWSなスクープ

 

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ニコン100歳 

小型カメラの初号機「ニコンI型」は

1948年生まれの同い年

2017.07.25

7月25日が「ニコン100歳」の記念日だったと新聞広告で知った。デジタルの今日まで半世紀もニコン一筋。

170725 ニコン100周年記念日

小型のニコンカメラ初号機「ニコンI型」は僕と同い年の1948年生まれ。その時名前が「ニコン」って決まったことも知らなかった。
1959年にニコン初のレンズ交換式一眼レフカメラのFマウント初採用の「ニコンF」が発売されたが写真に目覚めた高校写真部時代「Nikon」はあまりにも高価だったため「M」を使っていたが、この業界に入った学生バイト時代に使用を許されたカメラはI型の後継機ニコンS3、SPのレンジファインダーだった。
このレンジファインダーによるピント合わせにちょっとしたコツが必要で、たまにピントが合わせづらくなるとメンテナンスを受けていた。
ライカは使ったことないけどレンジファインダーは正確だったのかなぁ?チョートクさん教えて。

ニコンF ニコンF 元祖自撮り 1973年108日間世界一周 108日間世界一周 元祖自撮りの動画

その後フィルム時代の仕事は全てニコンFシリーズ。レンズは24ミリと105ミリの2本で95%こなしていた。左の親指と人差し指でオートフォーカス駆動し、モータードライブカメラに変わるまで右親指と人差し指がモードラ機能だった。

1973年横浜港からバイカル号で世界一周のお供は2台のニコンFとKODAKカラーフィルムのブローニーサイズのEX120本、EHB20本、EH60本、35ミリサイズ36枚撮りEX40本、コダクロームK240本、そして取材用モノクロフィルム35ミリTRI-X手巻き9缶をバックパックに詰め込んだ。

24ミリ+ニコンFで自撮りをしていた「元祖自撮り 108日間世界一周」動画はこちら

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平尾昌晃さんの訃報NEWSで思い出した

「瀬戸の花嫁」が飛べなかった幻のTVCM

最後の日劇ウエスタンカーニバル 

2017.07.21

「わたしの城下町」でデビューした小柳ルミ子さんは’71年第13回日本レコード大賞最優秀新人賞受賞、「瀬戸の花嫁」で’72年第3回日本歌謡大賞受賞し天地真理、南沙織らとともに当時「三人娘」と呼ばれる70年代を代表するアイドルだった。
’73年世界一周から帰国した頃、渡辺プロダクションからヤクルトのTVCMへの出演依頼があった。

’72年ごろから僕ら東京ハンググライダー研究会のメンバーが竹竿とナイロンタフタで創った日本初のハンググライダー「大風呂敷一枚目」を担いで多摩川の土手や夏のスキー場、霊園の造成地などで飛行訓練をしていた。
’73年4月フジテレビ小川宏ショー「露木レポート」のオンエアがきっかけで少しづつ知名度もアップ?したおかげのオファーだった。

小柳ルミ子 ヤクルトジョアCM 大風呂敷一枚目 東京ハンググライダー研究会 1973年 小柳ルミ子 ヤクルトジョアCM 大風呂敷一枚目 東京ハンググライダー研究会 1973年

ヤクルトTVCM撮影当日1973年11月16日の箱根は晴天に恵まれたロケ日和だったが、生憎風が強く日本のアイドル小柳さんが安全に飛べるチャンスが少なすぎた。
10月6日第4次中東戦争勃発を受け10月16日ペルシャ湾岸6カ国による原油公示価格の70%値上げなどオイルショックによる狂乱物価へとつながりTVCMの自粛で幻となってしまった話。

幻の映像と様々な失敗フライトが収められた日本初のハンググライダー「大風呂敷」総集編後半の9分39秒あたりに小柳ルミ子さんが一瞬登場します。

幻のヤクルトTVCMの動画はこちら


二つ目は
1981年3月に日劇取り壊しが決まったため、城南大学ダンスパーティー同好会の幹事団で内田裕也プロデュース「サヨナラ日劇ウエスタンカーニバル(1月22日~25日の4日目)」を観に行った時ロカビリー3人男のミッキー・カーチス、山下敬二郎と共に平尾昌晃さんが歌う姿を観たのが最初で最後。城南大学のダンパのレギュラーゲストの安岡力也さんや寺内タケシとブルージーンズのギタリスト寺中名人らが出演していた。
六本木プラザビルにあった平尾さんプロデュースのライブハウスSpatsも良く行ったけど会った記憶はない。

ミッキー・カーチスは母校高南中学の先輩だった。

 

最後はただの摩周湖つながり話。
布施明「霧の摩周湖」がリリースされた1966年12月1日の4か月ほど前、大学1年の夏休み前半で稼いだバイト代で初めて単独カニ族(リュックのサイドバックの接触を避けて横向いてすれ違う様がカニ歩きに見えた。バックパッカーの事)で北海道に行った時、晴れた摩周湖で記念写真。

摩周湖 1966年8月

湖水の美しい色を夢中になって撮影したため出発時間に遅れ、リュックと共に定期バスは出発していた。携帯電話もない時代、工事のトラックをヒッチしてバスを追いかけた青春の思ひ出。

 

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WEBの人物写真は「ろくろ?を回す」

1973年頃に小沢昭一さんから言われた一言

2017.07.01

知人のFBで知った「ろくろを回す」???
詳細はHatena Blogをお読みください。

スマホ時代のWEB記事で使う写真は上下スクロール幅の狭い横位置ニーズが高いため、縦位置写真はほとんど皆無というのは頷けた。

紙媒体で見開きスタートの人物特集ページ(インタビューなども)のデザイン(縦組み、右綴じ)ではゲストの写真は左向きで右ページにレイアウトされることが多いのは、読者が自然にページをめくりやすくなるデザインと動きが出るためで縦位置写真なら上下にタイトルやリードがからむスペースがあると編集しやすく、横位置ならば大きく扱われることも考えてノドにかかる左右サイドの処理が撮影の要だった。

横位置で左右の空きを収めるための手先の動きを「ろくろ」というらしい。スクロールして読むSNS時代ならではの写真の撮り方で、身振り手振りで熱心に語る仕草が「ろくろ」を回している姿に似ていることが語源のようだ。

この話を読んで思い出したことがある。

1973年に始まったTBS ラジオの「小沢昭一の小沢昭一的こころ」や1974年野坂昭如、永六輔らと「中年御三家」を結成し武道館コンサートが話題になった頃、俳優の小沢昭一さんのインタビュー撮影した時、席に座るなり両手を動かしキメ顔をしながら
「これをやるとカメラマンは皆シャッターを押すんだよ」を聞いて肝に銘じた。

小沢昭一さんの個性とその場にしかない瞬間はどうやったら切りとれるのか?

確かに今でも記者会見などで汗や涙を拭ったりメガネに触ると画面が真っ白になるくらいフラッシュが焚かれる。
TV画面見ながら今でも自問自答のテーマ。

紙媒体はタイトル、リード、プロフィールスペースを空ける撮り方が普通だけどWEBでは縦横問わずそのような処理は無いに等しく、トップバナーなどスクロールメディア以前は考えもしなかった超横長プロポーションはカメラのフレーミング、ライティングなど発想を変えないと入稿後にデザイナーが困るのはよくわかる。
もしかすると予算の関係で腕の良いカメラマンが使えないのかな?
Movieなんて全て横フレーム(最近は視聴者投稿は縦もあり)だけどいい仕事見るけどな〜。

益子の里のクナッパーさん 元祖シンポジウム プランテル Steave Wynn

坂の上のブドウ畑 こざわファーム 坂の上のブドウ畑 こざわファーム

「ろくろ」する陶芸家Gクナッパーさん/写真上左@益子1972
シンポジウムの始祖、彫刻家のKプランテルさん/上中央@サンマルガレーテン・オーストリア1973
ラスベガスのホテル王Sウィン (Steve Wynn)さん/@上右ラスベガス2005
坂の上のブドウ畑 こざわファーム 小澤正人さん、雅子さんご夫妻/下@長野県東御市2014

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ライブハウスの壁が野菜畑に大変身! 

庄野真代さんが女将の、心と体に優しい

下北沢「Com.Cafe音倉」リニューアルOPEN報告

2017.05.16

歌手でNPO法人国境なき楽団 代表理事、大学で講座を持ち、オーガニック料理ソムリエの資格もある庄野真代さんが研究開発した、動物性油脂を使用しないオリジナル ランチメニュー「まるごと野菜の黒カレー」 はカレーの聖地、下北沢で食べられる新名物になりそうだ。

心に優しい音楽と
旬の有機野菜をふんだんに使用した
体に優しい食事

オーガニックなライフスタイルも提供するCom.Cafe音倉(コムカフェおとくら)のリニューアルOPEN報告。

夜はライブハウスになる地下1階の壁で、オーガニック野菜を作りながらつまみ食いも可能な前代未聞の「野菜畑壁」作りにチャレンジすることになり春からプロジェクトに参加した。
地下とはいえ「野菜畑壁」の上は吹き抜けの天窓もあり光や風の調節ができることが救いとはいえ、水はけや光量不足をLEDで補う壁ができた。

庄野真代 女将 オーガニック&ミュージック 下北沢 Com.Cafe音倉 コムカフェ音倉 野菜畑壁 庄野真代 女将 オーガニック&ミュージック 下北沢 Com.Cafe音倉 コムカフェ音倉 野菜畑壁

庄野真代 女将 オーガニック&ミュージック 下北沢 Com.Cafe音倉 コムカフェ音倉 野菜畑壁 思わずつまんだプチトマト
庄野真代 女将 オーガニック&ミュージック 下北沢 Com.Cafe音倉 コムカフェ音倉 マルシェな入り口

まるごと野菜の黒カレーは動物性油脂や小麦粉は使わず、旬の有機タマネギと米粉でルーを作り、野菜に適したスパイスをじっくりロースト。しかも真っ黒!
「黒」の正体は、人間の体内ではつくれないミネラルを豊富に含んだ「あるもの」。
それはヒ・ミ・ツ!
コク深くスパイシーなカレーに玄米のもちもち感の相性もよく佐世保の黒カレーにも負けない味。

庄野真代 オーガニック&ミュージック 下北沢 Com.Cafe音倉 コムカフェ音倉
まるごと野菜の黒カレー スパイス 庄野真代 オーガニック&ミュージック 下北沢 Com.Cafe音倉 コムカフェ音倉
まるごと野菜の黒カレー スパイス 小麦粉なしで佐世保の黒カレーに比べ十分美味しい

1988年4月〜1990年3月まで2年間フジテレビとESSEの番組連動「夕食ばんざい」でお世話になっていた頃はよくご馳走になったり我が家で秘伝のレシピを教わった。今でも作る時短料理の鮭缶パスタはほんと、簡単!うまい!

女性に人気の音倉ベジプレートやオーガニック グラノーラ、コールド プレスジュース。

音倉ベジプレートランチ 庄野真代 オーガニック&ミュージック 下北沢 Com.Cafe音倉 コムカフェ音倉
オーガニックグラノーラ 庄野真代 オーガニック&ミュージック 下北沢 Com.Cafe音倉 コムカフェ音倉
コールドプレスジュース

オープニングPartyで乾杯の挨拶をする杉田二郎さん。

音倉オープニング 杉田二郎

音倉食堂にいるパン職人や オーガニック料理ソムリエのスタッフが毎日新鮮で安心・安全な食材を選び心を込めてオーガニックで体に優しいランチを生み出している。

庄野真代 女将 オーガニック&ミュージック 下北沢 Com.Cafe音倉 コムカフェ音倉 野菜畑壁

女将の特別企画「アクティブエイジング講座〜倉で逢いましょう」 は歌う、学ぶ、知る。遊ぶ、笑う、考える。語る、イメージする、チャレンジする。
そしてドキドキワクワク夢を描いて、元気な暮らしを実現するヒント満載のワークショップ。

庄野真代 女将 オーガニック&ミュージック 下北沢 Com.Cafe音倉 コムカフェ音倉 野菜畑壁

 

庄野真代 女将 オーガニック&ミュージック 下北沢 Com.Cafe音倉 コムカフェ音倉 野菜畑壁

音楽ライブ、お芝居、セミナー、お食事付きPartyなど下北沢駅から一番近いライブハウス情報はこちら。

 

 

 

このブログ書いていたらその昔庄野真代さんと作ったスマホも携帯もネットもない時代の1980年4月12日成田〜アジア、インド、アフリカ、ヨーロッパを経て1981年3月にアメリカ ロスアンジェルスまで28か国、140都市を250万円のTCを腰に巻いて歩いたバックパック旅行記「庄野真代のThe 世界 漫★遊★記 」/ サンケイ出版刊、定価1,600円、初版1982年4月。を思い出した。
カイロで捕まった6日間の隔離病棟生活、メトロの通路で歌ったパリ公演、コニャックの食事天国と地獄、コペンハーゲンのユースでバイト、カーネギーで果たしたアメリカ公演‥‥など抱腹絶倒話を時々アップしてみよう。

表紙上:最近はイスタンブールでは飛ばずにひたすら走るみたい。

 

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久しぶりにDVDを観たら

右スピーカーが無口になっていた

アンプ?と思ったら 

39年間も健康優良児だったアルテックが

2017.05.02

右チャンネルが聴こえない!!!

以前メンテナンスしたアンプ?が再発したかと思った。
先ず左右のスピーカー端子を入れ替えてみたが不調なユニットは同じ。念のため違うアンプにも繫いでみたが右ユニットだけがおかしい。

我が家のスピーカーは1978年生まれのALTEC 604-8H 、最後のアルニコマグネットの15インチ同軸型スピーカー。
20年前に引越して以来のユニットとネットワークを外したら、ネットワークへの入力端子が少し緩んでいたのでかしめた。 淡い期待を抱きながら超重いユニットを元に戻して完了!
CDをセットアップしてPlay。

Altec 604-8H ユニットとネットワーク

あ〜〜っ、やっぱり右からは微かな音しか出ていない。
入院先を探さなきゃ。治るのかな?グーグルさんに聞いてみたら15インチ同軸型は高域ダイヤフラムの潜在ウイルスの発症率が少なくないらしく、同病の人が全国にいるとわかった。

以前アンプの再生でお世話になったアクアオーディオラボさんにメールしたら「クリニックは分からないが修理そのものが難しいのでは」と返事があった。

そこで15インチの同軸スピーカーを数多く所有しているオーディオ仲間のY君に電話した。今年の正月にALTEC LANSING A7-500WII Magnificentの高域ダイヤフラムの再調整(下写真)も見学させてもらっていたので病院を紹介してもらった。

ALTEC LANSING A7-500WII Magnificentの高域ダイヤフラムの調整 ALTEC LANSING A7-500WII Magnificentのネットワーク ALTEC LANSING A7-500WII Magnificentの高域ダイヤフラムの調整

専門病院は山形県に1軒しかないと聞き早速メールした。

保険が利かない自由診療で結構な入院治療費がかかると連絡があった。すでに製造中止したAltecの純正高域ダイヤフラムの在庫もあるとの返事だった。部品代と交換技術料だけで4万円/1本。これに左右のユニットのクリーニングとチューンナップで各々同額は最低かかるらしい。

4月は持病を抱えたまま自然治癒を期待しつつ?日々の仕事をこなしていた。
連休が近くなり入院準備を始めた時、ユニット一つで15キロもするものをどうやって?どの業者さんで輸送するのか?クロネコヤマト?保険は?梱包手段?など前回のメールでわかりにくかった箇所の質問を改めて送ったところ受け入れ病院から4月からの値上げ連絡があった。

値上げ費目の不明点もあったため直接電話した。
なんと純正部品の高域ダイヤフラムは3月は10個もあったのに今月バタバタと全て完売!純正在庫ありますって撒き餌?だったの、本当?

「ダイヤフラムはお客様自身でご購入いただき、ユニットと一緒にお送りください。ネットワークの修理は予約制で来年5月まで埋まってます」

「どこのメーカーの何が良いのか分からないのでそちらでベストな代替品選んでください」と頼んでも話が先に進まないため輸入代理店(KOZYSTはドル建て決済)を教わった。
検索したらすぐヒットした。会社は横浜だ!
すぐ電話すると部品販売(RADIAN 1228)+交換で2万円は山形の半値!
カレンダーどおり営業のため連休中の平日、2日午後にユニットを外して持ち込んだ。

スピーカー端子に計測器をつないで診療開始。

「西田さん、このユニット少し老化が始まってるけど左右とも異常ないです」

「家では音が出なかったんですよね。う〜んネットワークかな?問題の切り分けして原因突き止めないと修理できないですね。よかったら出張修理代がかかりますがこのあと私は動けますよ」

エンジニアの方が神様のように見えた。スピーカ−2台と計器を再び助手席のない日産フィガロに積み込んで急遽世田谷に戻った。

年老いたオーディオ製品は接点やネットワークとユニットをつなぐスピーカーコードの酸化がノイズや悪さをするらしく、コネクターのガタツキなどを丁寧にチェックして組み上げた。

Altec 604-8h 620B

いつもの音質チェック用CD「WE GET REQUESTS THE OSCAR PETERSON TRIO / YOU LOOK GOOD TO ME」を用意して、アンプにつないだ。

ア〜〜っ!今度は左の低域が出てない! 

僕には理解不能の独り言を発しながら、僕よりびっくりしたのがエンジニア!だった。また初めからユニットを外し今度はネットワークもオープン。

Altec 604-8Hのネットワーク Altec 620B Altec 604-8H

「このネットワーク触るの久しぶりだ」

不安な言葉を発しながら計測しては回路図をメモしていた。

「部品の交換が必要ですか?」

「このクラスのネットワークは下手に部品交換するとかえってクオリティーを落とすし、今朝まで音出てたんですよね〜。う〜ん」

抵抗?とかは大丈夫だったらしく目につく接点を細かく清掃しながら元のネットワークボックスに格納した。予想外に時間がかかったが気になる接点全てをきっちり締め上げ、ガタつきをなくし再度セットアップ。
外も暗くなった頃、新しいプロジェクトの打ち合わせで来ていただいた歌姫も一緒にいい声を聴くことができた。写真は5/1の前日にTBS特番「未来の日本に伝えたい名曲100選」でも歌っていた城南大学ダンスパーティー同好会の専属スター歌手の庄野真代さん。

庄野真代 飛んでイスタンブール

山形への入院治療が大幅に遅れたおかげで難病治療のはずがただの『接触不良』。

接触不良の原因?遠因?は
昨夏の午後、右スピーカー上に設置されてた大型エアコンから突然の水漏れ。
慌ててSPを移動して助かったと思っていた。
後日修理の人がきたので足場確保のためSPを再度移動した時、ボックスの下部が水を吸って一部に変形が始まっていた。
総重量68.5キロもあるスピーカーの移動が楽なことに気づいた時からフローリングに直置き(オススメではない)していたが、以前使用していたインシュレーターを履かせて扇風機乾燥で一件落着と思っていた。

これがスピーカー内部の湿度UPによる接触不良を起こさせたトリガーだったのかも。バスレフタイプの620Bだから開口部に直接扇風機向ければ良かったのかも。

「ア〜〜っ本当に良かった!!! 無駄な治療費もかからずボケ防止のサビ落とし、接点チェックは大変重要でした」

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東京藝術大学大学美術館 陳列館で

ロバート・フランク

ブックス アンド フィルムス、1947〜2016 東京を観た

2016.11.14

上野公園口を降りると美術館、博物館は軒並み月曜休館。

Google Mapでも休館?アラート。そんなはずは無いはずと思いながら芸大へ。11-24 November 2016 in Tokyo 無事開催中!でした。

ロバート・フランクとゲルハルト・シュタイデルが考案した展覧会ですが、芸大生の展示アイデアが特に面白かった。

英文はゲルハルト・シュタイデル、日本語はちょっとうるさい気もするが院生が書いたそうです。

2016.11.14 芸大 ロバートフランク

写真展をはしごする予定だったので桃林道に寄ったら月曜定休日。残念

根津まで歩いて神宮前の@表参道画廊+MUSEE Fで「リフレクション展」へ。 来廊した女子もロバート・フランク展経由だった。彼女はあの日本語が嫌いと言っていた。

続きは▶ ハピポなアートblog

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日曜日のテレビ「がっちりマンデー」

フォントデザインの現場を見て思い出した

週刊誌の表紙担当だった'70年代後半

メインの特集タイトル文字は全て手描き!だった

2016.10.17

 

1978年1月、30歳の誕生日直後に週刊サンケイ編集部に表紙担当デザイン&編集者として隔月刊誌編集部から異動した。

週刊誌の売れ行きを左右する第1特集のタイトルは締め切り日の夜遅くに決定することが多く、デザイン作業はそこがスタートだった。

番組でモリサワのフォントを製作している現場の鉛筆デッサンや墨入れを見ていたら思い出した表紙の特集タイトルの文字組み。今ならMACのモニター見ながらフォントを選び、級数を指定しテキストを流し込んで字間のツメを微調整‥‥‥。

この作業を指定の天地左右の中(1.2〜1.5倍)に筆一本で飾り文字からゴシック、明朝を毎週手描きしていた。

当時は写植も使われ出したが週刊誌の小見出し、本文は全て活字全盛の活版時代で、本文特集のタイトル周りは整理部が決めたスペースに描き文字屋さんと呼ばれる方々が毎晩、筆と竹定規で躍動感のあるタイトルを描いていた。

写研の「ゴナU」が1975年にリリースされていたが、進行の関係でセンターの企画ものタイトル以外で使う事はほぼ無く、そのため表紙用タイトル文字は売店での可読性を高める横太明朝や平体を極端にけたゴナ系の文字を毎週描いていただいた方は写研文字の開発に携わり、後に「イナブラシュ」「イナひげ」などイナファミリーをリリースした稲田茂さんだった。

タイトルの誤字が見つかり修正が必要!稲田さんはいない。流用可能な版下も無い事故で一度だけ文字を描いて凌いだ事もあった。

稲田さんを通じて学ばせていただいた事がデジタル時代のフォントのバランス、漢字とかな、字間、行間‥‥‥など、後に月刊誌「エッセ/ESSE」や週刊誌「SPA!」創刊へのエディトリアル デザインの基礎となった貴重な経験だった。

イザベラ ロッセリーニ 撮影&AD /西田圭介 週刊サンケイ表紙

モデル / イザベラ ロッセリーニ  撮影&AD / 西田圭介 1980年3月27日号 

1979年から表紙デザインに加え外人モデルの表紙撮影も始まり発売日が同じ篠山紀信さん撮影の週刊朝日とキオスクに毎週並んだ。

撮影&AD /西田圭介 週刊サンケイ表紙

撮影&AD / 西田圭介 1981年新年合併号

多分この新年合併号より外人モデルから学生などの素人モデルに路線変更したおかげでモデル探しに苦労した記憶が。

モリサワフォント

モリサワフォントでは熟語を出力して他の文字とのバランスを人の目で確認し、問題がある場合は修正をするそうだ。知らなかった。

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自然と共生するモンゴル遊牧民の生活は

ECOサイクルの原点

2007.09.20

何処までも続く地平線を撮影しにモンゴルへ行った。
そこで経験した生活こそが3.11以降の生活をあらためて考えるきっかけになっている。
小さなソーラーパネルと牛の糞だけで全てのエネルギーをカバー!


3世代で暮らす遊牧民は、東の空が白み始める頃に炉(ゲルの中央にあるストーブ兼用)の燃料となる牛の糞を集めることから生活がスタートする。

乾燥させるために新しい糞は決められた場所に集めるのはお婆さんの仕事だった。何十頭も飼っている牛の糞は相当の量になる。
その頃息子の嫁は調理の全てに関わるストーブの煙突を外して煤を取っていた。

9月下旬の外気はかなり冷え込んでおり、間もなく雪が降ってもおかしくない季節だそうだ。羊の毛で作るフエルトをかぶせた移動式住居のゲル(ger)で何枚かの毛布を借りたが下着を重ね着し、防寒具を着たまま寝ても夜中に目が覚めた。

朝の歯磨きと洗顔はコップ一杯だけの水をとても上手く使う。川から汲んできた水は、調理から鍋釜や食器の洗い方まで一滴たりとも無駄にしない手順だった。

燃料の牛糞 煙突掃除

乳搾り 天日乾燥糞 水汲み

ゲルの内部は直径数メートルの円形で、入り口は南向きで中央に暖をとるためと料理を作るストーブがあり、向かって左側が男の居住空間。右手のスペースが女性用のため、炉は料理しやすいように東向きに置かれている。

ゲルの中央天井は換気や採光用に開閉可能になっており、煙突が出ている。この周りに干し肉等を下げている。

 

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