インターネットも
クレジットカードも無い1973年、
バックパックとニコンFで
格安世界一周 写真旅
1973.06.17. ハーレム→ブリュッセル/YH
1973.06.18. ブリュッセル→ケルン→デュッセルドルフ/竹岡
1973.06.17. デュッセルドルフ→コブレンツ/YH
1973.06.20. コブレンツ→フランクフルト/YH
1973.06.20. フランクフルト/YH
ワーゲンビートルの新車で
新婚旅行世界一周中の森川先輩と、
JALフランクフルト支店で無事で会えた!
携帯電話もインターネットも無い時代、
旅行者同士で待ち合わせの約束をする事は大変に難しい時代だった。
フォルクスワーゲンの新車で新婚旅行世界一周中の森川先輩と唯一の約束は、僕が東京から投函した旅の日程でお互いのスケジュールが合いそうな街がフランクフルトだった。
フランクフルトには森川さんのお知り合いの方が住んでいたのでその方の住所にポストした。
手紙に6月19日12時にJALフランクフルト支店で待ち合わせましょう。うまく会えなかったら翌日、翌々日の12時とチャンスは3回としましょうと書いた。
写真は6.17デュッセルドルフの国立美術学校造形科に国費留学していていた彫刻家の竹岡雄二さんと会った時のセルフ写真。現在はブレーメン州立芸術大学の教授をされているようです。JAL支店のスタッフの方々には迷惑だったかも知れないが、海外の街のインフォメーションとかマップをはじめ、日本の新聞が読めるため在住の日本人達のコミュニケーションセンターの役割も大きかった。日本ではほとんど連絡先など見当もつかない事でも意外に連絡先などが分かった事も多く、立ち寄った支店や営業所では大変お世話になった。
しかも当時は支店止めで自分宛の手紙なども留め置いてくれるサービス(正規には無いと思う)がありバックパッカーの間では次は日本航空マドリッド支店に●月●日に到着予定等と書いて日本に投函していた。
受け取りはパスポートを提示して無料で受け取る事ができた。世界中を旅する日本人のために何かと面倒を見てくれた日本航空には大感謝!
19日の昼前に支店に到着し新聞を読んでいたとき、森川さんの奥さんが通りから中を覗き込んでいたのに気付いたが中に入る事無く歩き出したので慌てて外に出て声をかけた。
「あらっ、西田さん居たの?何か汚いヒッピーみたいな人だけだったので、今日は居ないと思ったのよ」インド経由でヨーロッパに入った奥様とは半年ぶりだったし、Gパンに洗いざらしのTシャツ姿に加え横浜からヒゲを伸ばし始めたので風貌がややワイルド化し始めていたのかも知れなかった。w
1973.06.21.
フランクフルト→ビュルツブルグ/YH
フランクフルトからミュンヘンまで
ロマンティック街道をワーゲンビートルで走破。
車は旅のスタイルに変化と発見をもたらした!
森川さんが新車のワーゲンビートルを購入した理由は、
1 世界中何処でも修理が可能。
2 旅の最後に何処でも売却可能。
3 売却時に走行距離が出てても、新車のため高く売れる
4 世界の人気車種
5 買値と売値の差が小さいのが新車
以上の理由でドイツで新車を購入したが、ドイツ語の取説で細かいところが分からず困っていたため、日本語の取説をヤナセで貰って僕が届けた。何処の国で売れば一番高く売れるか?売り方?などもよく調べていた。
僕はこの旅行のために出発直前に免許を取る事が出来た。
しかも運転練習は免許保持者と一緒に夜間の貸しコースのみで、教習所には一度も行かず初回から府中の試験場通いで取得した。ペーパーテストは1発合格だったが実技試験は、数回落ちた仮免許だったが本試験の実技は2度目に受かった。
本免許試験のとき縦列駐車の項目では名前さえ知らず、練習した事も無かったので試験官に
「やった事無いのでどうすれば良いのですか?」と率直に質問した。
「君!ここは試験場だよ。そんな事は教習場で聞きなさい」
「僕、教習場に行ってないんですけど、何処で教わればいいのでしょうか?」
「はい戻ってください」
切り返しは得意だったが何度か貸しコースでワザを磨いて2回目に無事パス出来た。免許取得経費も教習所通いした人達よりも相当安価に済み、期間も2ヶ月もかからずに取れた。
初めての運転はフランスで左ハンドルのルノーでギアチェンジが日本には無いものだった。
ロマンティック街道の途中で気に入った場所でランチ駐車。これが最高!
1973.06.22. ビュルツブルグ→ローテンブルグ→フュッセン/Auto Camp
1973.06.23. フュッセン→ミュンヘン→フランクフルト/Pen
わかる!
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ビジュアル コミュニケーター!
ハッとして、心に残る写真、デザイン、編集します。